ドキュメンタリー映画、マジでガチなボランティア

里田監督インタビュー

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里田監督インタビュー

里田監督

GRAPHISや石松さんと知り合った経緯を教えてください。

里田 元々はテレビのディレクターだったんですが、10年くらいやって少し嫌になっちゃて「もう、テレビの仕事やらねえ」って決めてプラプラしていたんですね。
そんなとき、企業の新卒採用のコンサルティングをする会社から、大学生の履歴書ビデオっていうのを撮ってくれという依頼が来たんです。採用担当者がそのビデオを見るとどんな学生かわかるというやつなんですけど、学生側からしたら面接をしなくても自分の言いたいことやアピールができるという動画サービスです。
それで、当時、就活している学生に週50人ほど会っていたんですけど、学生に会えば会うほど、なんだか物足りないな~という気分になっていったんですよ。

え?なんでですか?

里田 まあ言ってみたら、僕もそうだったんで偉そうに言えないんですけど、学生時代に何も考えないで過ごし、勉強も一生懸命したわけでもなくバイトもなんとなくやって、いざ就職活動のときになって、特に言いたいこともなくどうしたらいいですか?みたいな。もちろん、そうじゃない人もいたんですけどね。
彼らを非難するつもりはなくて、僕もそんな人間だったんで確かにそうだなと。でも、社会人になるとやっぱり、そういう若者を毎日見ているとなんか物足りなく思うじゃないですか。「いまどきの若者は」とかね。
そんなふうに考えていたときに、その会社の社長さんが「面白い若者を見つけた」と言うわけです。その若者を応援したいと。ついてはその若者とその仲間達を応援するビデオを作ってくれないかと言うんです。だから、まず、1回会ってみてくれと言われまして、その若者のブログを紹介されたんですね。
それでそのブログを読んでビックリしたんです。すごく生々しく、そのブログって言うのはカンボジアに小学校を建てたという2006年までの彼らGRAPHISの軌跡だったわけなんですけど。石松くん自身が書いていて、写真がいっぱい貼ってあって、当時ちょうどブログっていうのが盛り上がってきたころで、こういう無名の学生が頑張ったことを記事に書いていて全然見ず知らずの人が読めるようになっている。それ読んで感動できる。なんて素晴らしい世の中だ。と思うと同時に、そこに書いてある内容も素晴らしかったんです。面白かったんで、これは是非会いたいと。

それはいつごろですか?

里田 2007年の2月くらいですかね。カンボジアに小学校が建った後で、石松くんが病院建設を公言して一部の仲間達と袂をわかち、裸一貫で再スタートをきったくらいのときです。それを実現するために、新しく組織をつくり直す頃、新生GRAPHISが立ち上がり始めた頃ですね。で、会ってみると、金髪のチャライ感じなのに医大生。さぞかしモテるんだろうなあと(笑)。そんなふうに思っていました。
僕の中で医大生というと江口洋介なんですよ、「かーんち」のやつ「東京ラブストーリー」でしたっけ(笑)。まさにそんな感じやなと。モテるし、男前やし、チャラいしどうせ金持ちでしょ、みたいな。それでボランティアやるのかと。
それまでボランティアやっている人というのはどっちかというと真面目な人とか自分の居場所を捜しているみたいなそういうイメージだったので、なんでこの若者達はこういうことするのかなと。
面白いなと思ったと同時に、自分自身が大学生のときにそういった途上国を見ていろいろと感じて、それがきっかけでテレビ業界に入ったんですね。同じものをみてボランティアとテレビ業界、面白いなあと思って。
それで、当時は僕1人で会社やっていたのでヒマでしたし、何の気なしにいつもの癖で「面白いねえ。取材させてよ」みたいな。昔の癖でついポロっと言っちゃったんですよ。ただ、そのときは、その会わせてくれた人がスポンサーみたいな感じでついていたので業務プラスアルファくらいの感じでしたけど。

なるほど。

里田 彼らのミーティングしているところとか撮ったりし始めたんですが、倖田來未とかmisonoみたいな女の子がいるわけですよ。金髪とかのギャル男とか。一部、端っこに従来の地味なボランティア好きですみたいな子がいたり、ボクサーの子がいたり。
内容的には集客の方法の話をしていたり、僕にとっては、あんまり「フーン」って感じだったんですけど、それぞれにインタビューしたら、ちゃんと話したりとかするし、見た目とかなりギャップがあるなあと思ったりしてましたね。
それがたぶん2007年の3月ころです。ミーティングに取材行ってインタビューして、そのビデオを作って彼らのメンバー募集に手伝うみたいな感じでした。仕事として応援用のビデオを作ってyoutubeとかに上げたりしてたんです。
で、ある日、「スタジオコーストでイベントをやるので見に来てください」とか言うので「行く行く」って言ったんです。そしたら前日くらいに「あの、ビデオ撮ってほしいんですけど」みたいに言われて、「えーもう仕事じゃねえしー。まあ、でも頼まれたんだから行くか」と思って、当時自分の赤ちゃんを撮るような感じで買ったホームビデオにマイクつけてテープ1本いれてスタジオコーストへ行ったんですよ。ちょろっと映像撮って、インタビューとかしたりして。それが後になってこんなに(映画に)使うことになるとは(笑)。

あはは。そのへんから同行取材になっていったんですね。

里田 そうですね。そこからは、まあ、ビジネスとかじゃなくて、なかなか面白いなって思っていたりもしたので。
何より撮ったビデオの反響があったみたいなんです。そのスタジオコーストの模様もちょこちょこっと編集してyoutubeとかに上げたらそれなりに反響があったみたいなんですね。
彼ら自身が映像の力ってものに目覚めて、それからイベントあるごとに「撮ってください」みたいに声をかけられるようになったんです。でも、僕は仕事があったし、学生のイベントなんで土日だし、土日は家庭サービスしなきゃならないし(笑)。
そうこうしているうちに8月に入ってカンボジアへ行くと。「是非、来て下さい」と言われまして、どうしよかなと思ったんですけど、前に「カンボジア行くならオレもいくよ」と調子の良いこと言ってしまっていたので、もうこりゃ行くべと思って、行くからには手ぶらで行ってもしょうがないしビデオ回すべって感じでビデオを持って行ったんです。別に何に使うとか、どうしたいとかなくて、ボーっと立ってるのがイヤだからカメラ回しているみたいな感じで(笑)。

その当時は映画に使おうなんて思ってなかったんですね。

里田 全然、まったく考えていませんでしたね。趣味で撮ってて、なんか役に立つんだったら良いかなあくらいの思いで。
実際、1週間くらいビデオまわしていたんですが、帰国してから彼らにイベントで使うから映像作ってくださいって言われているのに、仕事にかまけて伸ばし伸ばししてたんです。さすがに、直前になってお願いされて、2日くらい徹夜して編集したんですけど。僕としてはそれで終わり、役に立てて良かったって感じだったんです。

なるほど。そして、カンボジアに同行して帰ってきたと。

里田 そうですね。その映像を編集して渡して僕自身は責任果たしたと。カンボジア同行もして、彼らがどんな活動しているかもわかったし、あーこんなんなんだなあ、大学生って面白いなあ、すごいなあ、石松くんすごいなあっていうところで終わっていて、僕の中では過去の話になりつつあったんです。ただ、その後も、ときどき石松くんが連絡をくれていて、2ヶ月に1回くらいかな。いまこんな状態なんですよとか、御飯食べに行ったり、そのたびにイベントあるから撮影にきて欲しいと言われていたんですが、ずっと断っていたんです。仕事あるし。もういいでしょみたいな。
そんなこんながずっと続いてたんですが、あるとき、2008年の秋くらいに遊び行っていいですかと言ってきたんですね。そしたら、今度、「出版甲子園」に出るので、その様子を当日撮影してほしいと言うんです。「お、平日ならいいよー」とか言ってたけども、結局、土日だったんですね。それで断ったんですけど、後日、結果報告に来てくれて「優勝して本を出版するとになりました」って言うんです。

なるほど。

里田 それで、「本になるんなら、前に撮った映像をプロモーションに使って、書店のポップとかのところにDVDとかで流したら売れるんじゃないの?」と言ったんです、僕もそれくらいだったら協力できると思ったんで。それで、「じゃあお願いします。」みたいになったんですけど、ちょうどそのとき僕自身が、もう採用ビデオとかの製作に行き詰まりまくっていた時期でして、なんとかしたいなと思って映画のセミナーとかに行っていたんです。インディペンデントの映画の作り方みたいな、どうやってやっていくかとそういうやつなんですけど。そのときに戸山プロデューサーと知り合ったんです。戸山さんがちょうど、自分が関わっているドキュメンタリー映画を上映してて、それで、それを見に行ったんです。スタッフの森と二人で。『「i and i」after Bob Marley 21000miles』というボブマーリーの弟子みたいな人が撮影した映画だったんですけど、それを見たときに「お、オレもできるかも」って思ったんです。
映画って言えば、妻子を捨て出家するみたいな感じだと思っていて、借金を背負い自殺するんじゃないかくらい自分を追込み、そう言うのがドキュメンタリー映画だと思っていたんですけど、その映画を見てそんなこと考えずにとにかくやるっていうのが大事かなと思ったんです。
あと、ちょうど同時に石松くんが書いていた本のゲラを読んだんです。そしたら、実は、過去に彼が僕にいろいろと頼んできていたタイミングがどれもすごい大変なときだったんですね。でも、僕は自分の仕事があるからと断っていて、「ああ、あの裏でこんなことあったのか、なんか申し訳なかったな」と思って、じゃあなんか罪滅ぼしできないかなと思ったときに、結びついたんですね「ピコーン」っと(笑)。どうせプロモーションするなら、映画にしてプロモーションしたほうが面白いんじゃないかと。

なるほど。それが映画のキッカケですか。

里田 はい。そう思いついて、石松くんに「映画にする?」みたいな。劇場でやったら面白いよって。石松くんは「映画すか?誰が見にくるんすか?」とか言ってましたけど(笑) そんな話になって「どこで上映しよか?」とか言ったら、石松くんが「六本木ヒルズがいいす」とか言うし(笑)。まあ、2人でそんな派手なことを言ったりしてたんです。
とは言うものの仕事が忙しかったんでほったらかしにしてたんですね。そしたら、彼が自分で劇場を渋谷TSUTAYAがいくらで借りれるとか見付け出してくれて、現役生の映画PRチームとか作って動きだしてくれたんですよ。じゃあ、集客とかそういうのはGRAPHISに任せると、入場料とかも寄付にしていいよ、僕は作ることだけやるからと。それで、必死こいてつくりはじめました。

それがいつですか?

里田 2008年の5月か6月くらいかな。公開したのは2009年の秋です。1年かけて作ったというよりも、仕事に忙殺されていて結局1ヶ月くらい前になって製作したって感じですけどね(笑)。でも、180人の満席の席を2回まわしたんですよ。もちろん関係者もいるわけなんですが360人来てくれたんです。GRAPHISが集客・会場手配など全てしたんです。

すごいですね。

里田 ですよね。でも、集客に関しては結果としては良かったんですけど、上映前は一応、いろいろとPRの策を講じてみたんです。映画チームに宣伝できるように新聞買って来いと、それでTV局の番組ごとに電話しろみたいな(笑)。そんなPR活動してたんですけど、全くダメで、NHKから声かかって石松くんが行ったら「商業的すぎるかなあ」と断られたり(笑)。
とかしながらも、ビックリしたのは、上映の2週間くらいになったらパタパタとマスコミの取材が来だしたんです。最終的には、アエラとかサンデー毎日とかいろいろなところで紹介していただいたんですよ。

そこから今回の映画につながったわけですね。

里田 そうです。自主上映するときに、「せっかくだから全国上映とかやる?やったら面白いよね。」とか言って、署名とかもらってたんですね。見に来てくれた人に書いてもらったりして。それもって映画館とか回ったら上映してあげるよとかいう映画館あるかなと思って。
それで戸山さんに相談したら、渋谷だしシネクイントがいいんじゃないかなと言われまして。よくわからなかったんで、「そうですかあ」とか適当なこと言ってたら、本当に声をかけてくださって。それで、会いに行って、説明したら1週間くらいたって「やりましょう」って返事が来てみんなでビックリですよ(笑)。

あはは。そこから怒涛の編集のし直しとかを始めたんですね。

里田 どうやって映画にしようかと思っていたら、シネクイントの方が、「この作品ってテレビドキュメンタリーみたいだよね。劇場でかけるには作品力をあげてほしい。」って言われたんです。「作品力」って何?テレビドキュメンタリーみたい?ってそりゃそうだよ、元テレビマンだしみたいな(笑)。そこから、まず、作品力ってなんだろうって考え始めたんですね。映画とかビデオとかちょこちょこ見ながら。
そうやって考えていたら、ある日、気づいて「テレビと言うのは現象を伝える。映画というのは感情を伝えることだ」と。そう思ったんですね。

おお、なるほど。

里田 そう思って、これは、関係者にインタビューをし直そうと動き出したんです。それでGRAPHISの中でも僕が仲良い人からインタビューをし始めたら「エーッ」みたいな発見の連続だったんです。「そんなことがあったの?」みたいな。サークル内での葛藤というか、イベサーの実態というか。外側から見てたら、チャラくて頑張ってて偉い人なんだけど、中では、「こんなことがあったのかあ」の連続で。その内容にだんだん自分も引きずられて、何も考えずに次々とインタビューをしまくっていったんです。
通常だったら台本つくって、構成にあうようにインタビューしたほうが効率はいいのに、そこで面白いと思っちゃったもんだから、野面で呼び出して野面でインタビュー。まあ、今となってから編集しにくくて大変でした(笑)。
石松くんの原作は2009年の春で終わっているんですけど、今回の映画は、その後、カンボジアへまた同行取材に行ったりもしたんですね。作品力を上げるために(笑)。そんな、生の声のインタビューと壮絶な後日談を追加して、やっと完成という感じです(笑)。

あはは。そんな苦労を重ねてできたこの作品ですが、最後に監督から見てくださる方々へメッセージをお願いします。

里田 今回の「マジでガチなボランティア」を見てほしい人は若者、特に大学生がいいんじゃないかな。世の中を変えれる、社会にインパクトを与えれるのってやっぱり若者しかいないと思うんです。彼らが世の中を変えたいかどうかはわからないですけど、いまの世の中ってどこの国にも問題があって、できれば良い方向に変えていきたいわけじゃないですか。そのとき、それを担うのは若者だと思うんです。だから若者のことを知りたいし若者ががんばっている姿っていうのはエンターテインメントになりうるわけです。そういう意味で、この映画は頑張っている若者の姿を描くことで、「若者が、頑張ればどんなことが起こせるのか」とか「どんなことになるのか」というのを感じてほしい。って思っています。
あと、若者とコミュニケーションが断絶している大人達はそれぞれの自分の若い時のことを思い出したり、単純に若者に対して思い込んでいるものを考え直す手助けになったら映画として機能しているのかなと思っています。楽しんでいただければ幸いです。

ありがとうございました。

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